インタビュー

版画家 野田哲也×ギャラリーゴトウオーナー 後藤眞理子

―「小さい頃はどんな子どもだったのですか?」
野田「自分では分かりませんが、図画は好きなほうでしたね。」
―「何年か前に、先生の熊本、不知火町のご実家に伺いました。その時、伯父さんである画家、野田英夫さん(注1)の作品が数点飾ってありました。伯父さんの影響はありましたか?」
野田「僕が生まれる1年前に若くして亡くなりましたから、伯父については絵を見て想像するしかなかったんです。どんな人だったのかなと良く想像していました。母からも聞いたりしていましたが・・・。作品を見ていると事実を元に描かれていることが分かりましたね。ぼくもそれには知らず知らずに影響されていたかもしれません。」
以下、野田先生の1978年の文章です。
「おじの作品の中には「生活の喜び」があり、「生きる喜び」がある。また、ときとしてしみじみとした哀愁の中にも、ロマンがあり、詩的な雰囲気の中に楽しさが隠されている。それは高度の知性で、現実の対象を客観的に見、繊細な感覚で人間生活をうたい上げているからだろう。ぼくは、このように現実を素直に直視し、自分の表現をするという作画態度に真の時代性と普遍性を見出すのである。」
(「誰が最も影響を与えたか」[アンケートへの回答] 『美術手帳』1978年3月号より)
―「どうして絵の道を選ばれたのですか?」
野田「絵が嫌いではありませんでしたから、高校も美術部に入っていました。数学が苦手で、いよいよ進路を決めなければならなくなったとき、雑誌「蛍雪時代」で調べてみましたら、国立で入試に数学がないのは芸大だけだった。しかし、芸大に行くにはデッサンの試験がありますので、デッサンの勉強に研究所に入らなくてはいけない。三年の暮れ、そのことを担任の先生に伝え、一月から東京に行ってデッサンを勉強したいと言いましたら、先生は、良し、よろしい、と許可をしてくれたのです。今なら考えられないことです。だから、ぼくは卒業式も出なかった。絵の勉強が出来るように後押ししてくださったんです。しかし、残念ながらその年は落ちてしまいましたが・・・。」
―「家族は賛成してくれたのですか?」
野田「いえ、美術なんか食えないからと言われました。父は工学部行ったらとか・・・。でも、母が好きなら行きなさいと言ってくれました。」
―「版画を選んだのは何故ですか?」
野田「油絵科に入ったものの、西洋のまねばかりをして自分の絵がなかなかできない。よくある絵を描いていました。小磯良平の教室でした。ある日、天使の版画をつくっていて、これは自分の表現じゃないと思った時、小学校の夏休みの宿題の絵日記を思い出しました。1966年です。そして、どうせやるなら、徹底的に自分のためにやってやろうと。その時、写真も好きでカメラも持っていましたので、これで日記を付けるような気持ちで作品をつくろうと考えたわけです。」
(そして、1968年第6回東京国際ビエンナーレ でグランプリに選ばれる、「家族の肖像」が生まれる。)
―「受賞された時の気持ちはいかがでしたか?」
奥さんのドリットさん曰く、当時、28才の哲也が受賞して、皆、驚きました。当時、イスラエル大使だった父親が、この受賞を知り、素晴らしい才能と後で結婚を認めてくれたエピソードを披露してくれました。
このことに関して、野田先生が受賞当時1968年の新聞に自身で、その喜び、戸惑いを新聞に書いておられます。その文章はみずみずしく、伝わってきますので、あえて原文を許可のもと、お載せします。

「現代の目」記事写真(東京国立近代美術館ニュース 1968年12月号「現代の目」より)

―「どんな時に作品にしようと思われるのですか?」
野田「そのとき自分との関わりの深いものがテーマです。最初は自分の子どもだったり、外国に行ったらそれがテーマになりますし・・。最近は散歩だったり、TVだったりー。自爆テロの作品は、東京でユダヤ教の過ぎ越しの祭りの食事会にぼくも招待されましたが、その同じ日(時差の関係で日本は次の日になります。)イスラエルのドリットの妹が住んでいるすぐ近くホテルで同じ食事会に集まった人々を狙った自爆テロがありました。それをぼくはテレビの報道で知りましたが、人ごとではないと思いました。イラストレーターの矢吹申彦さんがあるところに「作家の内なる欲求によって描かれたものがアート。一方、イラストレーションの本来は、与えられたテーマをいかに絵解きとして表現するかというもの。」と書いておられましたが、 なるほど、と思いました。」
―「先生の作品はDiaryという、私的な題材なのに、普遍性を感じます。」
野田「僕も人間やっていますから(笑)、正直にやれば、他の人間のどなたか共感していただけるかたもいるのではないかと思っています。」
  • (左)ギャラリーゴトウオーナー 後藤眞理子(右)野田哲也先生(左)ギャラリーゴトウオーナー 後藤眞理子(右)野田哲也先生
  • (左)奥さまのドリットさん(右)野田哲也先生(左)奥さまのドリットさん(右)野田哲也先生
※注1 野田英夫(のだ ひでお、1908年7月15日 – 1939年1月12日)
「野田英夫さんは、洋画家であり、野田哲也先生の伯父にあたる。幼少時代を父の郷里熊本で過ごし、旧制熊本県立熊本中学校卒業後に渡米、カリフォルニア・ファイン・アーツを中退、ニューヨークに出てウッドストック(ニューヨーク州)|ウッドストック芸術村に住んで、アート・ステューデンツ・リーグ教授アーノルド・ブランチの支援を受け、壁画・テンペラ画を研究した。」(Wikipediaより引用
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野田哲也展覧会場にて撮影いたしました。

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